北式馬券研究会

40年前、北秀一氏が「九星術」をもとにギャンブル勝率を高める研究をし「北式出目表」として公開した。当時一世を風靡したこの北式を独自に研究、以来多額の配当(最高獲得額2,069万円など)を得たその数理を、一人でも多くの競馬ファンと共有することで究めていきたい。

名馬・テンポイント号の悲劇!!

みなさん!テンポイント号の悲劇!をご存じですか? 

若い方はご存じないでしょうが、ふと思い出したのでブログに書きます。

競走馬・テンポイントは、1975年デビューしました。3歳(当時は4歳表記)のクラシック(さつき賞・日本ダービー・菊花賞)は、無冠に終わりましたが、翌年の天皇賞・有馬記念を制覇した「流星の貴公子」と呼ばれた名馬です。そのテンポイントは、有馬記念を勝った翌年1か月後の1978年1月「日経新春杯」で悲劇は起こりました。

テンポイントは、ハンデ戦のため負担重量66.5キロの極量を背負っていました。

もちろん1番人気でした。レース途中雪景色の中、左後脚骨折で立ち止まってしまったのです。!その姿は今でもわたくしの脳裏に焼き付いています。予後不良の診断でしたが、何とか助けようと必死の治療をしたようですが、53日後に亡くなりました。

この悲劇から、あまりにも負担重量の重さに着目、以後こんな負担重量はなくなったそうです。種牡馬になることが判っていながらなぜこんな負担重量のレースを使ったのかとの非難の声が溢れました。海外遠征も決まっていました。

 

少し話を戻しますが、テンポイント出走のの皐月賞は、1976年4月25日中山競馬場ではなく、この年は、東京競馬場で開催されました。

15頭立てのレースで、1番人気は、7枠12番・テンポイント、2番人気は3枠5番・トウショウボーイでした。

レースは、人気とは逆に1着3枠5番のトウショウボーイ、2着に7枠12番のテンポイントの枠連3-7で決まりました。

この日は、陽遁⑤の日でした。運命数524(37)から注意数の37 でズバリ来ました。

さて今週のG1・朝日杯フューチュリティステークスは、同じ陽遁⑤の日に行われます。この思い出のとおり来るかはわかりませんが、有力な枠の強さであることは、間違いありません!振り返りますと私は、この1976年に「北式運命数」を使っていたことになりますね。43年も前のことです。驚きですが今でも運命数のことでレースが蘇りました!!今週のブログスタートにあたっての思い出です。

 

f:id:stormysunday77:20191209085334p:plain